不安の力
五木寛之著2003年5月初版 集英社刊
不安は力なり(寺岡晟)
五木寛之著2003年5月初版 集英社刊
不安は力なり(寺岡晟)
逆説的に聞こえる言葉ですが、この本の命題です。
この本を読むきっかけが、私にはありました。
2001年の秋、私は家内と京都を旅したときのことです。
この年の春に大病を患った(重度の胃潰瘍でした)私は、いつもの元気さ、快活さが消えてしまっていました。
心配した家内が「あなた、私は京都の紅葉を観たくなっちゃた。私を連れて京都へ出かけない!?」
その折、京都南禅寺へ足を運んだときでした。
国宝の山門へ上がろうとしたとき、入り口に座っていた係りの女性が「もしお時間があればこれから本堂で作家の五木寛之先生のお話しがありますから、お寄りになりませんか?」と声をかけられました。
急ぐ旅でもありませんから、その足で本堂に向かい、五木寛之氏の話を聞くことにしたのです。
初めて接する五木寛之氏は穏やかな口調で語り始められました。「皆様の中で、今不安をお持ちの方、お手を挙げていただけませんか?」
私を含めて大勢の方々が同じように手を挙げました。
「殆どの方々が不安をお持ちなんですね。私もそうです。不安とは悪いもので取り除くことが必要である。安心がよくて不安は悪い。安定がよくて、不安定が悪い。このように物事を白か黒かに分けてしまう考え方を僕は否定します。良し悪しは別にして、どちらかが欠けてもいけないのです。ああ、よかった、と、胸をなでおろして安心する。心が和らぐ、世界が生き生きと見えてくる。そのためには、強い不安の存在があってこそ、です。不安があればこそ、そこから解放されたときの喜びと安らぎがあるのです。
雨が降るから、青天の喜びがあるのです。寒い冬があるから、春の喜びを受け止めることができるのです。
年中、晴れの日ばかりでは喜びは感じられないのです。年中、春ばかりでも同じことが言えます。闇が濃ければ濃いほど、光が強く感じられる。夜があるからこそ、夜明けがある。悪があって、善に出会ったときの感動もある。
「失敗は成功の母」というなら、「不安は安心の母」
人はアンバランスな状態のなかで、必死にバランスをとろうとする。
生きる、とはそういうことではないでしょうか」
五木寛之氏の話しが、私の全身に染み入ってきました。
…病をしたことで、健康の喜び、歩けることの素晴らしさ、草花の美しさ、そして何よりも献身的に尽くしてくれた家内。
これまで当たり前のように思っていて、気付かなかったことに気づくことができたのも病を経験したからこそ。
五木寛之氏の話は続く。
「だからこそ、人は不安と共に生きていくのです。明日のことはわからない。一寸先は闇、たしかに不安です。しかし、だからこそ、いま、この一日を濃く生きなければ、と思います。
だからこそ、今、この瞬間を大事にしようという気持ちになります。
不安を追い払おうなどと考えずに、不安を生きる力とする道を探してみたい、これが今の私です。」
私は、わたし自身の中に強いエネルギーが生まれてくるような気持ちになりました。
私は、病を体験するまで、健康の不安がまったくありませんでした。
「元気」がトレードマークのようでした。
病を経験したことで、わたし自身に自信をなくしていたのです。
そのような私にとって五木寛之氏の話は「不安を力に変える」きっかけとなりました。
講演が終了すると質疑応答の時間が設けられました。私はイの一番に手を挙げました。司会の方からすぐに指名していただきましたから、「五木先生、とっても心に沁み入るお話しでした。今日、この場所でこのお話しを聞くことができましたこと、感謝です。今日のお話しは、本にされますか?もしされるなら読ませていただきますが…」
五木寛之氏は、笑いながら「今、お求めがありましたので一冊の本に書き下ろすことにしました。」会場に笑いが沸き起こった。
今、壁にぶち当たっている方、悩んでいる方、落ち込んでいる方、
反面、元気な方、ヤル気満々の方、皆さんに読んでいただきたい一冊です。