リーダーシップはTiming is money !

仕事柄、企業の管理職、リーダーの方々への研修をすることが多い。
その研修で受講生からよく受ける質問に「リーダーにとって、大切なことを一つ挙げるとすると、どんなことでしょうか?」がある。
僕は、「Time is moneyも大事だが、リーダーにとって大事なのは、Timing is money,だと思います」と応えている。

2021年の年が明け、従来であればお屠蘇気分を漂いさせながらの仕事始めだが、ちょうど1年前の1月から世界に拡がった新型コロナウィルス禍が一向に下火にならず、むしろ拡大しつつある昨今である。
そして我が日本では、一都三県を対象に8日から再び、緊急事態宣言が発出された。
このことによって、感染度合いが下降するか、否かは定かではないが、少なくとも今以上の悪化は避けたいのが、誰しも願うことだと思う。

ここで論じたいのは、現在の菅首相を評価することは本意ではない。
ただ、日本のリーダーは菅首相であり、そのリーダーシップの下、緊急事態宣言が発せられたのは間違いない事実だ。
そしてまた、大阪や京都などの自治体からも緊急事態の発出を求める要望が出ていることが報道されている。
それらの中で、僕にはどうしても腑に落ちない言葉があった。
それは10日のNHKの番組で菅首相の口から出た言葉だった。
「緊迫した状況だと承知している。必要であればすぐ対応できるよう準備している。
(専門家は)もうしばらく様子を見て分析したいという方向だった」
この言葉を耳にしたとき、僕は「おいおい、物事を決めるのはリーダーたる菅首相でしょう。
専門家は意見、アドバイスを述べる立場であって、物事を決めるリーダーではないよ!」
企業でも、物事を決めるのはトップ、社長の役割と責任だ。
役員会議で賛否両論が飛び交っても、最終的に意思決定をし、その旨を社員に語るのがトップの仕事だ。
菅首相の発言は、あたかも専門家が決めることであって、万が一それが間違っていたら責任を取るのは専門家であるという風に聞こえる。
リーダーの仕事は「Timing is money」と冒頭に述べたが、要は、決断を下すのはリーダーであり、そしてその決断のタイミングを決めるのがリーダーの責任だということ。
「もうしばらく様子を見る、推移を見守る」という言葉は、一見まともに聞こえるが、
感染が爆発的に拡がってから緊急事態宣言を出すのでは、何の意味もないのである。
振り返ってみると、もう一か月早く緊急事態宣言を発出しておれば、様相はずい分変わったのではないだろうか。
あのときも、もう少し事態の推移を注視する必要がある、という発言だった。
どんなに良い施策も手立ても、そのタイミングを失したら、何の価値もない。
そのことは、企業の経営も個々のマネジメントも同様である。

Timing is moneyに関連して、もう一つ述べたい。
それはタイミングを決める根拠は何か?である。
一言で言えば、それは「情報」である。
トップの下にどれだけ事実に基づいた情報が寄せられるか、それをどう判断するかである。
小さなことだが、僕自身の体験で言えば、営業部長時代に売上表を見る限り、順調に推移していたときだった。
その売上表を眺めていたとき、フトかっての上司の言った言葉が頭に浮かんだ。
「調子がいいときほど、気を付けることが大事。どこかに落とし穴があるかも知れない」という言葉だった。
気持ちを取り直して売上表、各種のデータを見つめなおしてみたら、何と「新規売上のダウン傾向」がここ3カ月間、顕著になっていることに気が付いた。
つまり、売り上げが好調なのは既存の顧客のニーズが尖出していたのであって、言い換えれば、来期のニーズは間違いなく下降すると考えられるので、このまま推移すると来期の苦戦が予想された。
そこで、営業所長たちに電話や面談、そして報告レポートを求めてみると、いくつかの見逃しできない要因が浮かび上がってきた。
すぐさま、マネージャー会議を招集して、現状の評価と課題を明らかにして、具体的な新規営業の強化を求めた。
結果として、このときの決断が来期への種まきとなり、また新たなニーズの発掘にもつながった。
後で、営業所長たちが異口同音に、「寺さんが新規営業の必要を真剣に、且つ決心の強さをメッセージしてくれたので、今の売上に満足していた我々にとって頭に水をぶっかけられたようなもので、一気に気合が入りました」
戦国時代の勇将とも智将ともいわれる黒田官兵衛(後に如水、関ヶ原後に福岡52万石の大名)は、軍師官兵衛として名高い。
官兵衛は、秀吉から大分県中津城の城主(12万石)に任じられたときのことだ。
中津城は川と海に囲まれていて、防御に勝れた城だったが、それよりも海に開かれた城として瀬戸内海を通じて、大坂、京都へ続く「高速情報ライン」で、官兵衛は、誰よりも早く、正確な情報をつかみ、その情報を基に決断した者が勝つことを周知していたそうだ。
そのような情報の重要性は今の時代でも同様だ。
様々な情報を整理し、読み解き、進むべき道が見えてきたら、決断をする、戦国時代も令和の現代も同じだ。
恐らく首相の手元には様々な情報が寄せられると考えられる。
火事を消すには大きく火の手が上がってからでは遅い。もう手を付けられないのだ。
消し止めるにはボヤの内が消化の原理原則だ。
タイミングを失したら、どんな消火剤も効果が半減する。
決めるのはリーダーの仕事、Timing is moneyである。

最後に述べたいことがある。
お隣の中国が人治国家とするならば、日本は法治国家である。
それも三権分立という仕組みで成り立っていることは誰しも周知のことだ。
菅首相のリーダーシップ云々を述べてきたが、冷静に考えると菅首相は動くに動けないものがあると思う。
それは、緊急事態宣言に対応する法令の無さであり、曖昧さだ。
強制権の伴わない特措法でやれることには限界があるのは明白なのだ。
言い換えれば、日本には緊急事態、有事に対応できる法令が存在しないためである。
阪神淡路大震災のとき、車両の通行を規制する法令がなく、消火活動に齟齬を来したことは記憶にある。
そのときに法令の整備が必要と言われながら、私権制限が伴う法令が見送られた。
そして東日本大震災でも同様だった。
より記憶に新しいのは安倍内閣のときの有事法制だった。
このときは、憲法違反、教え子を戦場に送るな、という感情的、情緒的な言葉がマスコミ、そして野党の大合唱になったことだ。
つまり、日本に法令は平時対応型の法令しかない。
有事の際に活用できる法令が極めて乏しいことが大きな課題であると言いたい。
ということは、立法府たる国会が、与野党の利害を乗り越えて「機能できる、する緊急事態措置法の制定」が必要だと思う。
なぜなら、今、日本は有事なのだから。
平時しか想定していない法令は世界の非常識であり、我々日本人は戦後75年間、平時しか知らない民族だ。