逝きし世の面影

渡辺京一氏著 平凡社ライブラリー刊 定価1,900円

温故知新とはこのことか!(寺岡 晟)


店頭で「逝きし世の面影」という、どこかエキゾチックな
タイトルに惹かれて買い求めた。
読み始めると、僕は時空を超えて、今から170年前の
日本、それも幕末から明治にかけての大きな変革期の日本の街、
農村、山村、そして街道筋、港、橋のたもと・・・。
を旅している僕がいた。
本を通して、当時の日本人、それも庶民の生き生きとした姿が
見える。
コロコロと笑いこげる子供たち、大人もそうだ。年頃の若い娘たちも笑っている。
街道に面した小さな茶屋で、暫し旅の疲れを休めている商人風の旅人、母子連れの二人旅、
そして一人旅の男たち、奥の畳の部屋では役人風の侍たち。
その誰もが異国人の一行に好奇心いっぱいの眼差しを注いでいる。
とうとう我慢できなくなったひとりの若い男が、その異国人の着ている上着の袖を触って
感触を味わっている。
そして、隣の旅仲間に何やら伝えると、彼らは娘のようにコロコロと笑い、実に嬉しそうだ。
なんて楽しい人たちだろう。なんて好奇心いっぱいの人たちだろう。
みな、僕が生まれる170年前の人たちだ。
そして僕と同じ日本人だ。

「逝きし世の面影」は、日本が近代国家への道を歩み出した1860年、幕末から明治20年頃にかけて日本を訪れた欧米人たちが記した「日本滞在記」「紀行文」「日記」などを収集し、それをテーマ別に編集、そこに著者渡辺京一氏の解説、論評が実にわかりやすく読む者を引き込ませる。
渡辺京一氏は言う「私にとって重要なのは在りし日のこの国(日本)の文明が、人間の生存をできうる限り、気持ちのよいものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって、
成り立っていたという事実だ」
1858年(安政5年)、日英修好通商条約の調印のために来日したエルギン使節団一行を乗せてきた英国海軍フリゲート艦の艦長オズボーンが14日間の日本滞在日記で日本を興味深く記している。
「上陸するためにボートを岸に近づけると、家々から少年少女が現れて浜へ駆け下りてきた。役人たちが子供たちに戻るように促し、扇を振って指図をする。だが何の効果もない。
我々のボートがとどまっている間、若き日本は我々のボートと我々を見つめ続ける」
続ける。
「川崎への遠乗りの途中、品川まで来ると、茶屋という茶屋には湾内の異国船を見ようと群衆が詰めかけ、酒や茶を飲みながら、備え付けの巨大な和製望遠鏡をのぞき込んでいた。
川崎大師に着くと、そこにも膨大な日本人群衆が待ち受けていた。」
オズボーンは、江戸の前に長崎に訪れている。
「この町のもっとも印象的なのは、(それは私だけでなく、我々全員の一般的観察であった)
男も女も子供も、みんな幸せで満足そうに見えるということだった。」
同行した英国人オリファントは「我々の最初の日本に対する印象を伝えようとするには、シナ(中国)との対照が極めて著しく、文明が高度にある証拠が実に予想外だったし、この愉快極まる国の思い出を曇らせる嫌な連想はまったくない。
来る日、来る日が我々がその中にいた国民の、友好的で寛容な性格の鮮やかな証拠を与えてくれた。1日のあらゆる瞬間が何かしら注目に値する新しい事実をもたらした」
それまでセイロン(スリランカ)、エジプト、ネパール、ロシア、シナ(中国)などを訪れ
いくつもの旅行記をものにしてきたオリファントにとって、日本は予想外、だったのである。
彼が母親への手紙で「日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感の持てる国民で、日本は貧しさや物乞いのまったくいない国です。私はどんな地位であってもシナへ行くのはごめんですが、日本なら喜んで出かけます」
ここまで褒められると面映ゆいものがあるが、それは彼オリファントだけの言葉でないのが170年後の僕も素直に嬉しい。
「逝きし世の面影」は全部で14章の構成である。
第1章の「ある文明の幻影」では、この本を著した目的をさりげなく記している。
「私の意図するのは古き良き日本の愛惜でもなければ、それへの追慕でもない。
私の意図は、ただひとつのほろんだ文明の諸相を追体験することにある。
外国人のあるいは感激や錯覚で歪んでいるかも知れぬ記録を通じてこそ、古い日本の奇妙な特性が生き生きと浮かんで来るのだと私はいいたい。
そしてさらに、我々の近代の意味は、そのような文明とその解体の実相をつかむことなしには、決して解き明かせないだろうと言いたい。」

Withコロナの時代です。
世界中が大変な状況です。
そのような状況下、日本は他国と比較して感染度合いが極めて低く、他国ではロックダウン(都市封鎖)が強制権を持って行われました。
勝手に外出すると罰金、拘束、逮捕までの公権力が行使されるのがスタンダードです。
しかし、我が国では「自粛」という形で本人の自覚、自由意志に委ねています。
しかもそれが功を奏しているのが日本です。
この「逝きし世の面影」を読み終えてみると、170年前の日本にその秘密を見出したように思います。
今なお、元気に執筆活動をされておられる渡辺京一氏は御年90歳の方だそうです。
渡辺氏が精魂込めて記した全ページ590ページの大作です。
この時代にこそ、古き日本に我々が必要とするものがあるように思います。