係長、ありがとうございました。安らかにお眠りください

残暑の日差しの中にも秋の気配を感じさせた9月10日の朝のことだった。

今日から3日間の営業幹部対象の研修初日とあって、いつもより緊張気味に身支度を整えた僕は、いつものようにメールチェックをするため、PCに向かった。

そこには、訃報を知らせる1通のメールが、「…今朝、○○様が急逝されました。ここに謹んでお報せいたします。」と記されていた。

○○様とは、私が社会人生活の第一歩を記したU社での最初の上司のことである。

翌日の夜、研修会場を後に僕は通夜の会場に向かった。

これもご縁か!?研修会場から通夜の会場まで同じ区内で距離も近く、20分足らずで通夜の会場に着くことができた。

上司の偉功とお人柄を示すかのように大勢の方がご焼香に訪れていた。

当時、共に上司の部下だった同期の顔も見える。

あるいは、同じ職場の先輩方や後輩の顔も。

ご焼香の列に並んで、一歩づつ順になって焼香台に進んでいき、ようやく遺影が飾られている祭壇に近づいた。

そこには、笑顔の上司の写真が飾られていて、「おお!寺岡も来てくれたか!忙しいのに悪いなぁ」と僕に語りかけているような写真だった。

今から43年前にピカピカの新入社員としてU社に入ったことを思い出した。

配属は営業1課2係で、そこの上司がその方だった。

「ようこそ!2係へ、みんなもピカピカの新入社員だけど、俺もピカピカの新任係長の○○だ。一緒に頑張って行こう!」

2係は、ピカピカの新任係長と、これまたピカピカの新入社員5名と女性事務1名のチームだった。

そして1年間、このピカピカの係長に社会人として、U社マンとして、営業マンとして鍛えられたのだった。

係長は、上背もあり、おまけに顔つきは怖そうで、僕らにとって、とてつもなく大きな存在だった。

「これから1年間、俺がお前たちを一人前にしていく。周りの先輩社員に追いつき、追い越せ、遠慮するな!まずは、訪問件数で先輩社員たちを追い越せ!」

この調子で、毎朝、毎夕(と言うよりも毎夜(笑)、激を飛ばし、叱咤激励の毎日だった。

「お前たちも大変だなぁ、新任係長だから張り切っているし、毎晩、毎晩、勉強会とは気の毒だなぁ」と先輩社員たちから同情と憐れみとも、からかいとも取れる言葉をかけられたものだった。

でも僕らは、内心それ程、大変とか、しんどいとかは感じなかったのだった。

今、振り返りながら考えてみると、係長の我々に対する接し方に共感し、納得していたのだと思う。

「お前たちを一人前にするのが、俺の仕事だ。」

「自分に嘘をつくな!」

「飛び込み営業は、必ずお前たちの人生にプラスになる!」

同行や夜の勉強会、ミーティングの席で、何度も何度も聞かされたものだった。

こんなことがあった。

同行中に係長が突然、声をかけてきた。

「寺岡!飛び込みは楽しいか?」

僕は、そんな決まりきった質問内容に少しムッとして、「そんなの当たり前じゃないですか、楽しいはずなんてある訳ないじゃないですか!」と応えた。

すると、係長は「そうか、楽しくないか!」、係長はちょっぴり寂しそうな表情を見せたのを覚えている。

「寺岡、人は一生の内に何人ぐらいの人と知り合いになると思う?」

突然、係長は僕に聞いてきた。

「う~ん、難しいなぁ。。。1,000人ぐらいですか!?」

係長は応える。

「普通の仕事、それも内勤の仕事の場合、約3,000人だそうだ。」

「そんなものですか!」

「ところがなぁ、営業職の場合は、これが何と3万人だそうだ。」

「スゴいですね!」と、僕。

「そうなんだ。飛び込みも考えようによっては、人との出会いの場でもある訳だ。

だから、それを少し楽しみながら飛び込みをやるのもいいんじゃないかな」

元来、楽天家の僕はそれだけでも気持ちが楽になったことを忘れない。

こんなこともあった。

入社した年の終わり、12月のことだった。

ある見込み先へ同行営業をした帰りのことだ。

「寺岡、俺はもうお前と同行しない」

この言葉に驚いた僕は、「え!?係長、なぜ何ですか?困ります。」

係長は笑いながら僕に「もう卒業だよ!寺岡は、もう独り立ちできるからだよ。」

「え?どういうことですか?」ピンと来ないので、再度問いただす僕がそこにいた。

「今日の同行で、寺岡の営業マインド、スキル、それに人柄、すべて合格ということだ。

よく、ここまで成長したよ。頑張ったね!」

僕は係長の顔を見ることができなかった。

翌年の4月に僕らは異動となり、係長から離れることになった。

当時、立川にあった係長のお宅に僕ら5人は押しかけて夜通し騒ぎ、飲み、酔いつぶれ、小さな女の子の赤ちゃんを抱えていた奥様に大変なご迷惑をおかけしたものだ。

通夜の席で耳にしたのだが、そのときの女の赤ちゃんだったお嬢さんが嫁がれ、ご主人が医師として勤務する病院で係長は息を引き取られたそうだ。

思うにつけ、係長に出会わなければ今の自分は無いと思う。

社会人1年生の僕に、大きな基盤を与えてくれたことで、その後ビジネス人生につながっていったと思う。

僕が課長になったとき、係長は大阪営業部の部長だった。

会議を終えて、自分の席に戻ると、デスクの上に係長の祝電が届いていた。

嬉しかった。ちょっぴり恩返しができたように思った瞬間だった。

その後、僕がリクルートに転職し、数年が経った頃に係長は役員に昇進された。

あるとき、部下にこの係長との出会いの話をしたことがあった。

「では、寺さんの今は、その方抜きには語れないという訳ですね!」

僕の話を聞いた、当時の部下はその係長に会ってみたいと言い出したのだ。

仕方なく僕は、係長に連絡を取り、このような部下が係長にお会いしたと言ってます。

一度、会ってやってくれませんか?」という妙な依頼にも快く受けられ、私の部下と会うわれた。

そして、その部下が係長とお会いしたことを報告しにやって来た。

「寺さん、やはりすごい人でした。パワーのある方でした。」

「そうだろう!」僕にも嬉しい言葉だった。

「実は、こんなことをお聞きしたのです」部下が少し勿体ぶりながら、話をしてくれたことは、その後の僕の人生に大きな意味を与えてくれたのだった。

「寺さんのいいところは何でしたか?とお聞きしたんです。」

スゴイことを臆目も無く聞く部下もスゴいものがある。

「答えはこうでした!」

「寺岡は、とっても素直な男だった。やれ!といったら必ず実行した、でその後で『これはこうした方がいいのでは!?』と意見を持ってくる男だった。

そして、彼の一番の強みは、『体験を理論化できること』だなぁ。」

「理論化ということは、形があることだから他人が真似ができることを意味することで、それは波及する力につながるのではないでしょうか」

係長は、まだまだ僕の上司だった。

そのお世話になった係長はビジネス人生、プライべート人生を全うされ、75歳で召されました。

通夜の席での係長の奥様の言葉で締めさせていただきます。

「二十日間の闘病でしたが病としっかり向き合い、娘たちと私に見事な生きざまを見せてくれ、本当に強い人でした。

私たちは息が苦しい中、残してくれたメッセージを宝物し、頑張って生きていきたいと思います」

合掌