魯山人に出会う

魯山人言葉仕事に遊ぶ

北大路魯山人は1959年に79歳で没した日本の芸術家である。

画家であり、陶芸家であり、書道家であり、文筆家であり、料理家であり、美食家である、実に幅広い才能を持った異才の人であった。

 

この5月、僕は家内と出雲、松江の旅を楽しんだ。

私の仕事柄、例年3月の後半から5月の半ばまでは殆ど無休の毎日が続く。

それを話すと、人は「それは大変ですね!」「疲れるでしょう!?」「無理なさらないで!」と、同情とも憐れみとも取れる言葉をいただく。

で、当の本人の私はどうか?と考えると、実はとても楽しいのである。

毎春、学窓を巣立った若者たちが社会人として仲間入りをする。

僕の仕事は、そんな夢と希望に満ちた若者たちへ、社会人、企業人としての考え方、基本的な知識、行動の在り方などを研修を通じて教えることである。

僕の社会人としての第一歩は元気な挨拶から始まる。

「○○さん、もっと元気な挨拶をしてみよう!」「△△さん、元気な声が出せるようになったね」。

今春もそのような若者たち43名に対して約1カ月間の研修を行ってきた。

その中で、研修修了式でのある若者の言葉が印象的だった。

「私は、正直に申しますと人前で話すとか、何かを発表するとか、増してリーダーなんてできないし、やりたくもありませんでした。研修初日に寺岡先生から「声が小さい!そんな声で挨拶しても誰も気がつかない。やり直し!」と、ダメ出しされて、それから何度も挨拶の声出しをさせられました。とても悲しく、辛い時間でした。嫌でした!そして研修中、先生から問いかけられると挙手をして発言を求められ、そのときの発言内容、声、態度をその都度点数が付けられ、ボードにチーム別、個人別のスコアが表示されて、競争することも嫌でした。

1週間が過ぎ、2週目に入り、そして3週目に入りました。

この日、私はチームのリーダーになりました。

ずっと嫌でチームの仲間から請われてもずっと断り続けてきたのですが、新人の中でリーダーを務めていないのは、私を含めて数人だけとなっていました。

もう断り続けることはできないと思い、思い切ってリーダーを志願したのです。

その日を境に私の何かが変わり始めました。

研修が楽しくなったのです。

朝の「声出し」で、「おはようございます!」「こんにちは!」「ありがとうございます。」「よろしくお願いいたします。」とみんなに負けずに声を出すことができるようになりました。

寺岡先生からの問いかけにも恐る恐るでしたが、手を挙げることが苦痛ではなくなりました。

そして、とうとう「じゃ、□□応えてみろ!」。

私は、精一杯(つもりだっかも知れませんが)応えました。

寺岡先生がニコニコ笑いながら「□□、元気いっぱいに応えたじゃないか!」

「よし、□□の答えの内容に4点、元気な声に5点の計9点プレゼントだ!」

今までの人生で(決して大げさではありません)最高の点数をもらえました。

みんなからの拍手が聞こえてきました。

私の中の私が、私にこう言ってくれたように感じました。

…やったね!やればできるじゃない。その調子だよ。

それからの研修はとっても楽しみになりました。

学ぶこと、知らないことを聞いたとき、チームディスカッションを通じてみんなで意見を出しながら課題をまとめていく楽しさ。

人の意見を聞いて、それに対して物おじせず自分の意見を言えるようになったこと。

そしてGWに久しぶりに親に会った時、母が「何だか生き生きしているね、学校時代よりも楽しそうだよ」と言い、父は「大丈夫かなぁて、心配していたけど頑張っているようだね。身体に気をつけてやりなさい!」。

今日、終了証をいただき、ほんとうに嬉しいです。

あんなに嫌だった研修が今日で終わりだと思うと寂しくなります。

でも来週から職場に配属されるのも楽しみです。

私はこの1カ月間で変わりました。

元気な声を出せる□□です。

自分から行動する□□です。

毎日が楽しいと感じる□□です。」

 

足立美術館

そんな日々を終え、暫しの休息が今回の夫婦出雲、松江の旅だった。

出雲大社の清楚な雰囲気に心地よさを感じ、松江城のお濠巡りの屋形船で酔い、

皐月の風に心も弾む僕ら夫婦だった。

そして、日本の名庭園と呼ばれる足立美術館に足を向けた。

新緑の木立に囲まれた庭園は、期待を裏切らないものだった。

庭園を愛でながら美術館を進んで行くと、冒頭に記した北大路魯山人の陶器展が開かれていた。

グルメ、個性的な陶芸家というくらいの知識しか持ち合わせない僕だったが、鮮やかな赤い色の器に魅せられてしまった。

実に元気溢れる器だ。

…これに盛り付けた料理を頂くと元気が出るだろうなぁ、と内心思う食い地の張った僕だった。会場内には陶器とは別に「魯山人のことば」と題して所々の壁に魯山人のことばが記されている額が掲げられていた。

そのひとつが、この言葉だった。

足立美術館①

「私が最初、陶器制作をやろうとする時には、私の挙措を大分危ぶんだ人もあるが、幸いに挫折することもなくぽつぽつ進んでいる。

今後10年、私に健康を与えてくれるなら、なんとかしたものを遺すべく努力したいと思っている。

努力といっても私のは遊ぶ努力である。

私は世間のみなが働き過ぎると思う一人である。

私は世の中の人がもっと遊ばないかと思っている。

画でも、字でも、稚事でも遊んで良いことまで、世間は働いている。

なんでもよいから自分の仕事に遊ぶ人が出て来ないものかと私は待望している、

仕事に働く人は不幸だ。

仕事を役目のように丁えて他のことの遊びによって自己の慰めと為す人は幸せとは言えない。

政治でも実業でも遊ぶ心があって余裕があると思うのである。

北大路魯山人

実に共感である。

偶然にも魯山人のことばに出会えて、僕は隣にいる家内に一言。

「来て良かったね。旅はやっぱり遊ぶ努力があってこそだね!」