山行計画書

10月15日のニュースで、今年3月に那須で起きた高校山岳部訓練での雪崩事故の最終報告書が提出されたとの報道があった。まだ記憶に新しい事故だ。

栃木県の高校山岳部の生徒と引率の教諭の8名が雪崩に巻き込まれて亡くなった事故で、報告書は、最大の原因は「危機管理意識の欠如」だったとNEWSで伝えていた。

僕は、この事故が報道されたとき、とても違和感を感じていた。

というのは、高校生の冬山は禁止じゃなかったの?と思ったからだ。

今の僕には当時の片鱗もないが、高校時代の3年間、僕は山岳部に所属していたのだった。

それも高2の夏から卒業までは山岳部長を務めていた。

今日、ニュースを聞いて、あらためて僕の高校時代のことを思い出した。

 

高1のときは、先輩に連れられて奥多摩、秩父、丹沢、それに山梨の三つ峠などを歩き回ったが、高2になって6月に先輩に部室に呼ばれて「寺岡、お前が来月から部長だ。よろしく頼む!」といきなり言われた。

ドギマギしながら僕は「先輩、部長って何をやればいいんですか?」

と、聞き返すと、先輩はこう僕に言った。

「後で引き継ぐけど、5つある。先ずは、部員の中心としてみんなを引っ張り、まとめていくこと。次に「山行計画(さんこうけいかく)を立てて、顧問と校長の許可を得て、山行を実行すること。そして部の予算を立て、生徒会にかけて部の予算を獲得すること。そして新しい部員を獲得するようPRをして、部員の勧誘をドンドンやること。最後に寺岡の後任にする部長を育てる事。以上だ。大したことはない。」

大したことある先輩の言葉だった。

大変な役割と責任があるなぁ、とビビりながらも、部長になれたことが嬉しかった単細胞の僕だった。

さて、「山行計画書」のことだ。

学校のルールで、山岳部の行事として登山をしようと考えると、予め顧問の先生宛てに「山行計画書」を提出し、許可を得ると、今度は直接に校長の前で「山行計画」をプレゼンして、承認を得ることになっていた。

「山行計画書」の内容は、こうだ。

①どの山に登るのか?②参加部員は?③責任者は?④参加部員の個々の役割は?⑤山行のスケジュールは?(集合時間、場所、鉄道ルート、登山開始時間、登山ルートとポイント到達予定時間、宿泊予定(山荘またはキャンプ場)下山ルートと帰路の鉄道ルート、下山及び帰宅報告予定時間⑥携行品リスト

⑦事故、若しくは天候不良の場合の対処策、※登山中止の基準。そして⑧必要費用(部費からの出費・個人出費)以上である。

 

今から振り返ってもスゴい内容だったと思う。

部長としての最初の山行での「山行計画書」作成は悪戦苦闘してつくり上げたことを今でもはっきりと覚えている。

書店に行き、国土地理院発行の二万五千分の一の地図を買い求め、色鉛筆で登山ルートを考えて、書き込んでいった。

そして当時は国鉄の時刻表を見ながら往路時間、復路時間を決め、運賃を計算し、山岳雑誌から山小屋の情報や、登山する山の情報を収集し、計画書にまとめた。

そして、部員を前にプレゼンの予行練習をし、皆からの意見、アドバイスをもらい、ようやく顧問の前でのプレゼンにこぎつける段階となる。

ここでも顧問から、嫌な質問が飛んだ。

「寺岡、どんなときに登山を中止するつもりだ?」

「部員のコンディションが悪くなったらどうする?」

「帰路の列車が事故などで遅れたり、運休したらどうする?」

当時は、正直に言うと「この顧問は俺たちを山に行かせたくないのか?」と本気で思ったものだった。

そして、最後の関門が校長へのプレゼンだ。

 

それまで校長室に入ったことのない僕は、校長室に入ったときは「すごい豪華な部屋だなぁ、校長ともなると社長の部屋と変わらないなぁ(もっとも社長室に入ったことはないぼくだったけど)」

校長が部屋の中にある会議用テーブルを前に座り、入り口近くに僕と顧問が座ると、校長はニコニコ笑いながら「ほう、今年から寺岡君が部長か!」。

これまで見たこともない、接したこともない校長の笑顔に少し気持ちが楽になった。

顧問が「寺岡、校長先生に山行計画を説明しなさい」と促され、僕は顧問に行った説明を繰り返した。

すると校長が「寺岡君、その山の良さは何?どんなところに魅力があるの?」

僕にとって意外な質問だった。

そのとき、僕はこう答えたようだ。

というのは、校長室を出たとき、顧問先生が「寺岡、いいことを言ったな!」

と言われたから、今でも覚えている。

「校長先生、山の良さはこの西穂高岳でなく、どの山も魅力的です。特に夏の山は青い空と緑の木々、草花、そして赤茶色の山肌、それらが朝日を浴びると一斉に輝くんです。夕方になると山が真っ赤になるんです。

ワァーと大声で叫びたくなります」

校長はニコニコ笑いながら、「一度、僕も味わってみたいものだな」と言われたので、僕は「校長先生、ぜひ一度行きましょうよ!」

と、お誘いしたら「ありがとう!機会があればお供するよ」

校長は顧問先生に向かって「○○先生、留意点は大丈夫かな?」

「ハイ、行程、時間、緊急事態、連絡など確認いたしましたので、許可できます」と顧問がきちっと応えられた。

校長は「それでは、僕も許可します。無理せず、焦らず、用心深く、油断せず、有意義な山行を楽しんでください!」

「ありがとうございます。そのように致します。ありがとうございました!」

 

以来、山行の度に、僕は「山行計画書」を書き、その度に顧問、校長へのプレゼンを経て山を満喫した。

振り返ってみると「山行計画書」は、そのときも、それからの僕のビジネス人生に大きな恵みをくれたように思う。

仕事のプランを立てるとき、戦略を練るとき、部下が起案したプランをチェックするとき、僕は、高校時代のときの顧問、校長の気持ちになって接しているのかもしれない。

那須の事故のとき、どんな「山行計画書」がつくられていたのだろうか。

「無理せず、焦らず、用心深く、油断せず」の計画書と顧問、校長のような存在があったのだろうか。

あらためて、8人の犠牲者の霊に合掌。