「学は人たる所以を学ぶなり」

上左は、真ん中に吉田松陰先生、左手に高杉晋作、右手に久坂玄瑞

上右は萩城址のある指月山の夕陽

下左は山口県萩市に遺る松下村塾

下右は萩小4年の生徒が描いた松下村塾

 

 

幕末、維新の扉を開け、多くの志士、そして近代国家日本の夜明けを担った高杉晋作、久坂玄瑞、そして初代総理大臣を務めた伊藤博文等、多くの傑出した人を送り出した松下村塾の創始者である吉田松陰が、松下村塾の目的を語った言葉である。

秋色が少しづつ、そして確実に深まりつつある10月の下旬、僕は吉田松陰先生の故郷の萩を訪れた。

この7月、僕は「フリーアドレスマネジメント」という本を書き起こした。

これからの「働き方改革」のひとつとして、職場であるオフィスの席を特に定めず、自由に動き回り、コミュケーションの量と質を高めることを通じて、活性化、生産性の向上につながるフリーアドレスオフィスの在り方、そしてマネジメントのあり方をまとめたものである。

その本の冒頭に松下村塾での吉田松陰先生の「学ぶ目的」「教え方」が、フリーアドレスでのマネジメントの在り方、やり方と多くの点で合致していることに注目して、エピソードとして取り上げた。

出版して三ヶ月が経過したが、多くのヒントをいただいたにも拘わらず、吉田松陰先生にひと言でもお礼の気持ちを伝えていないこと、それが僕自身の中に不全感として漂っているように思えて、思い立って萩の街を訪れたのである。

そして、お礼と共に、改めて松陰先生の教えを学びたい、それも萩の街で!という思いも重なっての萩再来だった。

萩の街に入り、松陰神社にある松下村塾跡に着いたのは、夕方だった。

萩城址の指月山に陽が沈み始め,鳥居越しに見える見事な夕陽に僕は息を飲んだ。

150年前もこの夕陽を見ながら塾生たちは松下村塾を後に家路に着いたんだろうなぁ、と思いながら暫し夕陽を眺めた。

揺れ動く幕末の時代、松下村塾に通う塾生たちも見た夕陽も今日のような夕陽だったのかも知れない。

松下村塾は8畳の広間と狭い4畳半と3畳2間の小さな民家だ。

明け放されている広間を外から眺めといると、150年前、この小さな部屋の中で松陰先生と若い塾生たちが熱く学んでいた様子が目に浮かんでくる。

学は人たる所以を学ぶなり」とは、学びを通じて、人としても生き方を学ぶという意味が込められているそうだ。

塾生の中で、もつとも長命だった渡辺高藏氏(1939年没97歳)の言葉が残っている。

「松陰先生は、言語甚だ丁寧にして、村塾(普段はこのように読んでいたそうだ)に出入りする門人の内、年長ける者に対しては、『あなた』と言われ、吾ら如き年少に対しては、『君(キミ)』などと言われたり」とある。

松陰先生は、身分や出目(素性)の如何、性差、大人や子供の別を一切問わず、誰に対しても、ごく丁寧な言葉遣いをしたそうだ。

封建時代の当時として、驚きに値することだ。

そして拙書「フリーアドレスマネジメント」で取り上げた「松陰先生の坐処定まらず、諸政(塾生)の処に来たりて、そこにて教授する。」

つまり、松陰先生の座席は決まっておらず、いつも教室内をあちこち動き回っていたのだ。

初めて村塾にやって来た人が、誰が先生であるか、見分けられなかったと記されている。

当時の藩校や私塾、寺子屋の授業は書見台の前に座って、その対面にズラリと並んだ弟子たちに粛々と講義をするのが当たり前だった時代に、村塾のやり方は若者たちに大きな刺激を与えたことだろう。

もっともそのスタイルは小学校から大学まで今の時代も変わっていない。

松陰先生の教え方がすごい。

それは教えるのでなく、「気づかせる」「考えさせる」が基本になっている。

塾生渡辺高藏氏は語っている。

「初めて先生に見え、教えを乞うものに対しては、必ず『何のために学問するのか』と問われる。それに応える者、たいてい、どうも書物が読めぬ故に、稽古してよく読めるようにならんと言う。先生之に教えて曰く、学者になってはいかぬ、人は実行が第一である。

書物の如きは心がけさえすれば、実務に服する間には、自然読みえるに至るものなりと。

この実行という言は、先生の常に口にするところなり。」

松陰先生は、初対面の際、「なぜ勉強するのか」「勉強をして一体何をするつもりか、その目的について尋ねている。

知識をやたら詰め込み、理論にもそれなりに通じているが、実務にはまるで疎く、将来何をしようとするのか、何も決めていない。本をたくさん読んで賢くなりたいといった類の、安易で無責任な学問への取り組みを最も忌み嫌ったのが松陰先生たる人の特性だったようだ。

誰に対しても説いたのは、「なぜ君は学ぶのか、勉強して何をしようとするのか、その目的をはっきりさせること。人は生涯のうち、何かひとつ仕事をやり遂げなくてはならない。勉強はそれを探すためにある」

村塾の塾生たちが学びを通じて、自分の生き方、目標、今、為すべきことは何か、などを日々、考え、そして家路に着くとき、目の前見える指月山の萩城の夕陽を見ながら、明日のために自分が何ができるか、したいのかを思ったのでは、と僕自身も夕陽を見つめながら思った。

改めて、僕自身の至らなさ、足らざるところを感じ取った萩への旅だった。

松陰先生曰く、「学は人たる所以を学ぶなり」