日本列島、梅雨真っ盛りである。
しかし、昨年同様に梅雨と言っても名ばかりの梅雨だ。
「過去に前例のない短時間の猛烈な大雨」
「ゲリラ豪雨」
「過去に例のない梅雨入りの遅い西日本」
「早すぎる台風襲来、そして台風一過しても雨空の東京」
今や、しとしとと降る梅雨の雨は死語と化し、「ザァーザァー、ゴォーゴォー、」で表現するのが相応しい梅雨である。
けれども、僕にとっては、梅雨とは「しとしとと音もなく静かに降る雨」である。
思い起こすと、未だ舗装された道が少なかった小学校時代、友達たちと所どころに出来た水たまりを避けながら、飛び跳ねて下校したことが浮かんでくる。
なぜか、今でもあの水たまりのシーンが脳裏から消えない。
それで思い出した。
当時の東映チャンバラ映画での名セリフ「月様(幕末の志士月形半平太を指している)雨が!」ときれいなお姫様が傘を差し出そうとすると「春雨じゃ、濡れて行こう!」と、月様が応える。
これが当時の僕を含めてわんぱく坊主たちにとって、カッコいいセリフとして受け止め、登下校時に雨が降っていても「春雨じゃ、濡れて行こう!」と見栄を張ってずぶ濡れになりながら帰宅して、母親に「このバカ息子!」と叱られたものだ。
高校時代のことだ。
しとしと降る雨の中、何度目かの(笑)初恋の女子高生と駅に向かって歩きながら、柄にもない話題(数学の問題のこととか、クラシック音楽のこととか)で心をときめかせて歩いていると、向こうから相合傘の高校生カップルがやって来るではないか。
それを見た僕は「僕たちも相合傘をしょうか!?」とおずおずと申し出たのである。
すると「嫌です!」とピシャリと撥ねつけられた。
僕の何度目かの初恋が梅雨空に散った瞬間だった。
新人営業マン時代の梅雨の思い出はレインコートのことだ。
日々、飛び込み訪問の毎日だった。
梅雨に入ると毎日が文字通りの梅雨空で時折、強い雨も混じるがしとしと雨が続く毎日だった。
左手に営業バック、右手に折りたたみ傘を差しながらの訪問活動が続いた。
夕刻、帰社すると左肩、左袖がいつも濡れていた。
同期の1人が白いレインコートを買った。
そのコートが実にカッコいいのである。
そして如何にも仕事のデキそうなビジネスマンに見えるのである。
「○○、そのコートは幾らだった?」と尋ねると「これか、聞いて驚くな、2万円だ!」
当時の給料の半分近くになる。
「うーん、スゴイじゃん。よく買ったな!」○○はニヤッと笑いながら「実は叔父貴からの就職祝いなんだ」
残念ながら僕にはそんな奇特な叔父貴はいなかった。
梅雨空の街を白いコートを着て、アタッシュケースを右手に颯爽と歩く営業マンをイメージした僕は社会人1年目では実現出来なかった。
ちなみに白いコートを手にするまでに、それから2年を要した。
理由は簡単である。
無駄遣いの悪癖がそうしたのである。
自重自戒のシンボルとも相成った白いコートだ。
話を戻す。
しとしと降る梅雨は、それだけ心に余裕を持って雨の中を歩くことができた。
水たまりを愛でる余裕があった。
語り合いながら歩く愉しさがあった。
いろんな思い出、シーンがあった。
ザァーザァー降る梅雨には、それがない。
心もギスギスするはずである。
しとしと梅雨は何処へ。