巨星墜つ

11月29日、元総理大臣中曽根康弘氏が101歳の天寿を全うして、亡くなられた。

日本の戦後政治の総決算を掲げて昭和57年(1982年)~昭和62年(1987年)まで5年以上、日本のかじ取りを担った政治家だ。

政治的なことはこのHPには相応しくないので控えるが、戦後の総理大臣として大きな影響力、功績があった方だった。追悼の意を込めて僕と中曽根康弘氏との関係(もっとも僕だけがそう思っているだけですが)を記すことにした。

振り返ると、僕が中曽根康弘という政治家の存在を知ったのは、高校1年生のとき、たしか2学期のことだったと記憶している。

高校の恒例行事のひとつの「秋の小旅行」で一泊二日の行程で群馬県妙義山と長野県小諸城を訪れたときのことだ。

妙義山に向かう貸し切りバスの車窓からぼんやりと行き過ぎる景色を眺めていたとき、大きな看板が目に入った。その看板にはこう書かれていた。

「首相は国民投票で選ぼう!」、「首相も恋人もあなたが選びましょう」そして中曽根康弘という名前がこれも大きく書かれていた。

僕が中曽根康弘という政治家の名前を知った最初の出会いだった。

そのとき僕は担任の先生に「先生、中曽根康弘ってどんな政治家ですか?」

確か先生はこのように応えたと思う。「それは詳しくは分からないが、今バスが走っている群馬県から出ている自民党の国会議員だ。上背のある男前の議員だよ」

これだけである。

当時の僕にとって「男前の国会議員」という言葉がとても印象的だった。

そして中曽根康弘氏との2度目の出会いがあった。

それは僕が大学3年のときだった。

大学2年の11月から僕は生まれ故郷九州熊本県選出の衆議院議員坂田道太先生の議員会館にある坂田先生の書生として働き出した。

何で書生を?と思われるかも知れないが、当時の日本は大学紛争花盛りの時代で、母校日大、東大を始め、全国の主要大学が軒並み全共闘(全学共闘会議:1968年~69年にかけて政治闘争を行い、我が母校の日大、東大などでバリケードストライキが繰り広げられた)によって大学が封鎖されて、まったく授業ができない状態が続いていた。

政治信条が異なる全共闘には僕は背を向けていたが、毎日が日曜日状態なため、時間を持て余す日々が続いていたある日、新聞を何気に広げていたら、当時の文部大臣が郷里熊本選出の国会議員坂田道太氏であることを知り、思い立って翌日に国会議事堂の裏手に在る議員会館(衆参両院の議員事務所が置かれている)の坂田先生、と言っても当時は大臣であるが、ダメもとで訪ねた。

受付の電話口で「坂田大臣ご出身の熊本県八代出身の日大2年の寺岡と申します。今、大学紛争のため、大学が封鎖されています。この時間を利用して何か坂田大臣の事務所でお手伝いできることはないかと突然伺いました。」

すると、電話口に出た方が「そぎゃんな、ようわからんけん入ってきんしゃい」と故郷熊本弁100%で招き入れてくれた。

結局、人手も足りないこともあって、その日から書生(要は雑用担当の学生である)として卒業するまで議員会館の坂田事務所で働くことになった。

前置きが永くなったが、中曽根康弘氏との2度目の出会いはそのときのことだ。

書生としての仕事は最初の頃は選挙区への文書などのあて名書き、諸々もろもの案内文や整理整頓だった。

が、数か月が経つと第一秘書(公設秘書は2名、当時坂田先生は文部大臣だったので、秘書官と呼ばれていた)に呼ばれて「もう大分慣れたようだから、明日からは伝書バトば、やりんさい」

「伝書バトって何ばすっとですか?」

秘書官は笑いながら「簡単たい!僕や第二秘書やあるいは大臣から指示ば受けて、書類や連絡などを持って院内(国会議事堂内)や官邸(首相官邸:当時は佐藤栄作氏)、役所(文部省、現文科省)などあちらこちら走り回る仕事たい。だから伝書バトだよ。」

そのとき嬉しかったのは、菊の紋章が付いた「院内通行証」をいただいたことだ。

この「院内通行証」があればフリーパスで国会議事堂に出入りできる訳だ。

ジャケットの襟穴に菊の紋章のバッチを留め、バッチからつながる白い紐の先には国会議事堂内通行証と記された名刺大の札。

これを付けて院内を歩いているとまるで自分が国会議員になったかのような気持ちになる、実に単純な20歳の僕でした。

その伝書バトの頃に中曽根康弘氏に出会ったのである。

ある日、「この書類ば中曽根先生の事務所に届けてきてはいよ!」

当時、中曽根康弘先生は議員会館とは別に平河町の砂防会館に個人事務所があり、そこへ向かった。

中曽根先生が防衛庁長官に就任する1年前のことだった。

「あのう、坂田事務所から参りました使いの者ですが、中曽根先生へのことづけをお持ちしました」とそれなりに元気に用件を述べると、受付の方が一旦奥へ引っ込んで、間もなく「先生がおられますので直接お願いいたします。」と言われたので、緊張しながらもドアをノックすると「どうぞ!」と声量のある声が返って来た。

「失礼します!」と部屋に入ったら僕の眼の前に精悍な顔つきの中曽根先生が執務デスクを前にして座って僕をグイッと見つめておられた。

「君は坂田先生の事務所の者か?」

「ハイ、坂田事務所で書生をやっています日大3年の寺岡と申します!」

と、勇んで返事をしたように記憶している。

「坂田先生は書生を置いているのか?」

「ハイ、書生第一号採用です!」と返事をしたら、中曽根先生が破顔一笑され「おう、しっかり勉強しなさい!」とおっしゃられた。

調子に乗った僕は「中曽根先生のことは高校時代に学校の旅行で妙義山に向かうバスの中で見た「首相も恋人もあなたが選びましょう」の立て看板で知りました」

すると中曽根先生は、大笑いされながら「そうか、それは嬉しいね。これからもよろしくね」と、今度は優しく応えられた。

これが中曽根先生との2度目、正確には最初の出会いだった。

用件を済ませて辞去しようとしたら、「ちょっと待ちなさい」とおっしゃり、秘書を呼んで何やらボソボソと話された。

じっと待っている間、「将来の夢は何?」と聞かれたのでこう応えた。

「まだ何も決めていません。この書生の仕事をやりながら見つけていくつもりです」

中曽根先生は「それでいい、僕も政治家になろうと夢にも考えていなかったけど、目の前のことを一所懸命にやっていたら、いつの間にか政治家になっていたよ」

僕は今日の中曽根先生との出会いがすごく嬉しくて、「中曽根先生、今日偶然にお会いできて、とても嬉しかったです。ほんとうにありがとうございました!」と、僕は深々と頭を下げた。

待たされた理由は群馬の名物でもある「だるま」の小さな置物だった。

「寺岡君にプレゼントするよ、群馬のだるまはご利益があるから大切にしなさい」

坂田事務所に戻って、秘書の方やスタッフに今日の中曽根先生との出会いを夢中で話したことは言うまでもない。

後に坂田大臣から「こないだ中曽根先生との会食の場で、寺岡しゃんのことば、すごく誉め取らしたよ。」とおっしゃったので、二重に嬉しさが募った僕だった。

三度目の出会い(実質2度目)は、社会に出て2年目のときだった。

1975年の秋だったと思う。

会社のお客様のパーティに招かれたときのことだ。

会場のホテルニューオータニの地下からエレベーターに乗ろうとしたら、先客が大勢乗っていた。

何と真正面に中曽根先生が立っておられた。

当時、通産大臣だったと思う。

眼光鋭いSPの気迫にたじろぎ、どうぞお先に、と手を前に差し出したら、嬉しいことに中曽根先生は「まだ乗れるから乗りなさい」と声をかけてくださった。

僕は恐縮しながらもエレベーターに乗り込んだ。

エレベータが動き出したとき、僕は後ろを振り向きながら「先生、お久しぶりです。

以前、砂防会館の事務所に坂田先生の使いでお伺いしたときに先生から高崎のだるまをいただいた当時、書生だった寺岡です。その節はありがとうございました」

中曽根先生は「おお、そうでしたか!」と応じて頂いたが、果たして覚えておられたかはわからないが、それよりも偶然出会ったことの方が嬉しい僕だった。

それから10年後の1982年、中曽根先生は第71代総理大臣になられた。

僕が33歳のときだった。

その後出会う機会もなく、時間が流れていった。

そして4度目(これも正確には実質3度目だが)の出会いは、歌舞伎座でのことだった。

1999年、そのとき僕は51歳、中曽根先生は82歳のときで今のエイムコンサルツを立ち上げてから6年目だった。

家内と久しぶりに歌舞伎を楽しもうと、GWの5月2日に歌舞伎座に足を運んだ。

上演が始まる前の華やいだ雰囲気の場内で、何気なく周囲に目をやると、僕ら夫婦の右手の桟敷席に中曽根先生ご夫妻が座っておられるではないか!

隣に座っている家内に「右手に中曽根先生ご夫妻が座っておられるよ」と小さな声で伝える。

家内がそっと目をやり、「ほんとだ、お二人ともいい雰囲気だわね」。

中曽根先生は何やら隣の夫人と話しながら、時折り笑顔が見える。

ゆったりと落ち着いた雰囲気が伝わって来る。

一瞬、砂防会館でお話ししたときのことが思い出された。

指折り数えてみると、あのときの中曽根先生は51歳だった。

ちょうど今の僕の歳であることを思うと、改めてスゴい人なんだと感じ入った。

そして、29日の訃報である。

僕にとっては、中曽根先生とは、一瞬、一瞬の出会いであり、短い時間でしかなかったが、でも永く僕の脳裏に残る出会いだった。

バスの車窓越しに見た「首相も恋人も自分であなたが選びましょう」の立て看板から始まった4度の出会いは、貴重な出会いとなった。

中曽根先生、お疲れさまでした。

安らかにお休みくださいませ!

ほんとうにありがとうございました。

合掌